痛みの研究

東京大学医学部附属病院緩和ケア診療部 部長(准教授)
住谷昌彦

 我々の研究グループは、科学的根拠に基づいたより良い疼痛診療の実現のため、「疼痛を罹患している患者さんから得られた知見を疼痛患者さんの診療のために還元する」ことを基本方針とし、遺伝子解析などのミクロ研究からロボット治療、また公衆衛生に関するマクロ研究まで幅広いテーマで研究を行っています。特に国内外の臨床医・基礎研究者と共同研究することを重視し、目の前の患者から臨床医として得られる知見を有機的に解析することで、より科学的で優れた疼痛医療を確立することを目標としています。

遺伝子研究

疼痛患者さんの遺伝子解析の研究では、痛みのメカニズムを解明し、鎮痛薬感受性の解析からオーダーメイド医療の実現、また新規治療薬候補物質の探索を目指します。

認知神経科学研究


ヒトが実際に痛みを感じている“脳”に着目した認知神経科学研究を行っています。
痛みは体性感覚の一つですが、これまで体性感覚と視覚との相互作用を明らかにするとともに、運動系とも密接に関連していることに注目し、運動学習を通じた治療(神経リハビリテーション)を開発してきました。神経リハビリテーション治療を強化するようなロボット治療装置の開発研究も行っています。

さらに、痛みは不快な身体の経験であるとともに、こころの経験でもあります。痛みは不安や気分の落ち込み等のこころの問題を引き起こすことがあり、このような情動的障害が痛みの重症化・遷延化と密接に関わっていることが知られています。我々はヒト型ロボット(アンドロイド)による痛みの情動要素の修飾等から、痛みの情動的障害の機序の解明と治療法の開発に繋げたいと考えています。

健康関連倫理観に基づく疼痛治療研究

 疼痛治療の中で最も科学的妥当性が確立されている基盤的治療法は薬物療法です。しかし適切な服薬行動がなければ、薬物療法の効果は十分に発揮されず、患者の自己判断での増減量・中止が危険な薬物もあり、また医療経済上の問題ともなり得ます。さらに疼痛治療においては医師が行う治療だけが奏功するわけではなく、患者自身が健康状態を改善・維持するために規則正しい生活習慣と食習慣、運動習慣を心がけて治療に主体的に参加することが重要です。我々は服薬行動を含めたこのような個々人の健康に対する規範(健康関連倫理観)の観点から、慢性疼痛治療の研究を行っています。

脊髄刺激療法



 我々は、脊髄刺激療法にも取り組んでいます。
脊髄電気刺激法とは、直径約1mmの刺激電極を背骨(脊椎)の中に挿入し、電極を通じて脊髄を電気で刺激することによって痛みを和らげる治療法です。
電極の挿入には全身麻酔は不要で、通常は局所麻酔で行います。レントゲンで確認しながら充分注意しながら電極を挿入します。 電極の挿入後は一時的に体の外に電気コードが出ておりますが、脊髄電気刺激法によって痛みが和らぐことが確認できれば刺激電極と電気刺激装置を体内に埋め込みますので、入浴や運動など日常生活の支障となることはほとんどありません。
電気刺激装置を埋め込むことによって、ご自宅でお好きな時間にスイッチを入れて、患者さんご自身で痛みの治療を行うことが出来るようになります。
特殊な治療法の一つですが、健康保険が適用されており患者さんのご負担は通常の医療行為と同様です。

直径約1mmの脊髄刺激電極を背骨(脊椎)に挿入するのは手術室で局所麻酔を用いて行います。ベッドの上でうつ伏せに寝ていただき、レントゲンで確認しながら電極を挿入します。左の図のように脊髄の真後ろの硬膜外腔というスペースに電極を挿入します(左図)。基本的に脊髄を傷つけることはありません。
電極を挿入後、電極に電気を流して脊髄を刺激します。このとき、痛みを感じている場所に電気刺激感(柔らかい電気が流れているような感じ)があることを確認します。もし電気刺激感が無い、あるいは痛みを感じている場所と電気刺激感の場所が一致しないようであれば、電極の位置を変更します。


 電気刺激感の場所と痛みを感じている場所が一致すれば電極を仮固定し、体から電極と電気コードが出ている状態で病室に戻ります。病室ではテスト用電気刺激スイッチをお貸ししますので、患者さんご自身で脊髄電気刺激をご自由にお試しいただきます。電極を仮固定した状態で1週間ほど入院していただき、脊髄電気刺激法の効果を確認していただきます。テスト電気刺激終了後には刺激電極と電気コードを抜いて一旦退院していただき、脊髄電気刺激法を改めてご希望の患者さんには再度入院の上、脊髄刺激電極を再び脊椎に挿入し、さらに約7cmの電気刺激装置(右下図)を殿部(あるいは前胸部)の皮膚の下に埋め込みます。電極と電気刺激装置は、心臓のペースメーカーという治療装置と同様の体に無害な金属を使用しています。脊髄刺激電極と電気刺激装置の埋め込みは通常、抜糸まで2週間程度の入院となります。電気刺激装置は電池式なので、概ね10年に1回、電池交換が必要です。
治療の経過中、脊髄電気刺激法によって痛みが和らぐ効果が弱まってきた場合などいつでも電気刺激装置と電極を抜き取ることが可能です。

当院での脊髄電気刺激法は、主に神経障害性疼痛と呼ばれる難治性疼痛の患者さんを対象に行っています(神経障害性疼痛は、神経因性疼痛、神経損傷後疼痛、神経障害疼痛とも呼ばれます)。
神経障害性疼痛とは、触覚や疼痛感覚に関わる神経系の病気や損傷によって直接的に引き起こされる疼痛のことです。患者さんの疼痛が神経障害性疼痛であるかのご判断は下に示しているチェックリストにご記入いただき、総合得点が19以上であれば神経障害性疼痛である可能性が高く、13点~18点であれば神経障害性疼痛の要素が含まれる可能性があります。ただし、このチェックリストは絶対的な指標ではなく、医師の診察によって神経障害性疼痛か否かが判断されますのでご注意ください。

神経障害性疼痛の代表的な疾患:
末梢神経損傷後疼痛、幻肢痛、腕神経叢引き抜き損傷後疼痛、脊髄損傷後疼痛、視床痛(脳梗塞後疼痛)、CRPS type 2 (カウザルギーcausalgia)、FBSS (failed back surgery syndrome:脊椎術後疼痛症候群)、腰部脊柱管狭窄症、帯状疱疹後神経痛、脊柱管狭窄症、癒着性くも膜炎など

その他、手足の血液循環が悪くなるASO (バージャー病)やレイノー病など虚血性疼痛にも施行可能です。欧米では疼痛管理が困難な狭心症(虚血性心疾患)に対しても行われています。

 脊髄電気刺激法は基本的に安全に施行可能ですが、稀に感染や血腫(内出血)、神経損傷などが起こることが報告されています。このような副作用を起こさないために、血液がサラサラになるお薬を飲まれている患者さんや糖尿病をお持ちの患者さんなどには脊髄電気刺激法をお薦めしていません。副作用が生じた場合には、副作用に対する治療を早急に行い、脊髄電気刺激法が疼痛に対して有効であっても電極と電気刺激装置を抜き取ることがあります。

脊髄電気刺激法を行うことによって、痛みを患者さんご自身で自己管理できるようになることが最大の利点です。現在服用されているお薬の使用量を減らしたり、就寝時に脊髄電気刺激法を用いてよく眠れるようになることなどが特徴として挙げられます。 しかし、残念ながら脊髄電気刺激法は全ての患者さんの全ての痛みを治療できるわけではありません。全ての患者さんの全ての痛みを治せない理由として、「痛みの発症メカニズムがまだまだよくわかっていないこと」と「脊髄電気刺激法がなぜ痛みに効果があるのか?がわかっていないこと」の2点が大きな原因として挙げられます。
我々は、この痛みの発症メカニズムを明らかにするとともに、脊髄電気刺激法の治療メカニズムを明らかにすることを目的に様々な研究協力者と共同研究を行っています。